3.11を過ごして。
3.11からまる2年が経ちました。
被災された皆様におかれましては、心よりお見舞いを申し上げます。
今でもメディアでは忘れるなかれ、と特集が組まれたりしますが、
戦争でもそうですけれど、被災の有無に関わらず、
リアルタイムの当事者としては、そもそも忘れられるわけがない出来事だなぁと思います。
当時の筆者は、就職に向けての勉強の為、
自宅でテキストを広げている途中でして、
地震が大きくなったと同時に庭に飛び出していました。
弊社メンバーは東北出身が多く、
実際に津波が実家の30m手前まで迫っていたりしたメンバーもいます。
移転前のビルにいた社員は、棚が倒れドアが軋み、
机に隠れている場合じゃないと、
揺れながらも急いで交差点まで走っていきました。
会社としての動きとしまして、震災後2週間、交通等が落ち着いてから
車に積めるだけのお見舞いを積んで、東北へ飛ばしていったりしました。
凄惨、そして閑散とした様子は、9月11日の『11に思う事』という記事にて書かせて頂きました。
※震災現場の様子に酷くストレスを感じてしまう方は閲覧をご遠慮下さいませ。
振り返ってみて。
1年経過でもまだ、慌ただしかった記憶があります。
2年経った今では、いかがでしょうか。
できたこともあります。
できていないことも多々あります。
それらを挙げて、見直して、何を思うでしょうか。
私が未だに印象的なエピソードの一つとして、
弊社では義捐金として被災された方からの就職には一定の手当てを支給する仕組みがありました。
その旨、あちらの職業安定所でもお話したのですが、
自分達の力で故郷を復興させる、その為にその地で尽力する、
というようなお声がたくさん耳に入ってきたのです。
力強いな、日本まだやれるな、という意見もある手前、
私が思ったことは、
もちろん、その陰にある、誰かに手を貸してもらわないとどうにも出来ない、
という声も聞き逃してはならないな、ということでした。
少しずつですが、出来てきている事はあると思います。
が、依然として皆様の力が必要なのは、
単純に数が、資力が足りないから、という意味だけではなく、
多角的に物事を捉えて見れる・動ける方が必要だから、なんだと思います。
そんな視野を仕事に結び付けるのも野暮な話かもしれませんが、
仲間との繋がりを大切にするアクセル・モードとしては、
『1人』の力というのはよくわかっていますので、
人との繋がりは、コンスタントに大切にし続けていきたいなと思いました。
被災地の皆様のご多幸とご活躍をお祈りすると共に、
自分達にもまだ何か出来る事はないかと日々忘れずに励んで参りたいと思います。